って、ほんとは電車が好きなんだけどね。
「電車」と言ってしまうと、世の中の”てっちゃん”は「ちがうよ」と言う。電化されていない所に電車は走らない。ディーゼルで動く気動車好きの連れが居る我が家でも「電車」と「気動車」の区別ははっきりさせなければならない。
だから、今回の旅も「電車、そしてまた電車、たまに気動車」である。
8月3日。
さて、旅の始まりは、駅弁からである。まだ暗いうちに起きても朝ご飯をグッと我慢して、東京駅で駅弁を選ぶ時間を大きく取る。毎回の旅の楽しみでもある。
今回は、少し前にテレビで見たコレで。

ただし、ウチの旅のお約束で、列車が出てもしばらくは箸をつけられない。例えば、北へ向かうなら大宮、西へ向かう時は新横浜を過ぎるまで弁当は食べない。連れが、首都圏を出るまでは何となく、弁当広げるの気恥ずかしいんだってサ。「先に食べればいいじゃん」と言われるが、私も一緒に待つ事にしている。今回は名古屋まで新幹線各駅停車の「ぷらっとこだま」を利用した。最近ではツアーなどでもこれを利用するようで、行きの新幹線では、旅の嬉しさに舞い上がった、おっちゃん達の高笑いと共に名古屋へ向かった。ここから松阪を目指す。
伊勢志摩での大きな目的は「お伊勢参り」としていた。伊勢市で宿を探したが手頃な所が見つからず、それなら松阪あたりに宿を取り、そこを起点に巡ると言う事になった。移動手段は近畿日本鉄道の「まわりゃんせ」というお得なクーポンを使った。これはいいぞ。電車の料金が安い以外にも、伊勢志摩の色々な施設が無料で利用できる特典がある。
宿に着いた日は、松阪市内を散策した。まずは腹ごしらえ。

「一升びん」という、地元の人が通う焼き肉屋さんで。これがあの「松阪牛」だっ!
ちなみに、松阪と書いて「まつさか」と読む。近鉄もJRも、駅の表示は「まつさか」である。とうぜんコレも「まつさかぎゅう」である。さかさか。さかさか。
伊勢木綿の店に立ち寄り、それから「松阪商人の館」へ。

小津和紙で知られる小津清左衛門の旧家が残されており、当時の商家の生活を垣間見る事ができる。松阪の商人はいち早く江戸や京に出店し、日本橋の大伝馬町には、松阪木綿を商う店が密集していた。たまたま、この旅に連れが持って行った、ユニクロの「伝統企業コラボTシャツ」に小津和紙のものがあった。日本橋に出店した清左衛門の店が、日本全国の紙を扱っていた事がわかる。
このTシャツが、大阪の通りすがりの散歩じいちゃんを呼んでしまうエピソードがあったが、これはまた後のお話。
江戸時代の国学者で、医師でもある本居宣長が生まれたのもこの地。鈴の音を愛し、多く集めていた人で、松阪の街には沢山の鈴が。
あら、こんなところにも。

四角い鈴なの。
松阪城趾にある「本居宣長記念館」には、彼が残した沢山の「もの学び」の軌跡が展示されている。古事記や古典などの研究では知られているが、17歳で描いた「大日本天下四海画図」という日本の街道の地図や天文図などもあり、地理や天文にも深く興味があった事がわかる。とにかく、学んだ事を細かく細かく記録していて、それには思わず「うひょー」っと声が出てしまう。几帳面とはこの人の事を言うのだな。
城趾を一周すると陽も傾き、宿で一旦休んだ後はもう夕食である。日曜日で、行きたかった居酒屋も休みだったため、地元の普通の居酒屋に入った。
ちなみに、ここで入場した2つの資料館、いずれも「まわりゃんせ」の特典で入る事ができる。伊勢志摩に居る間は、電車に乗るにも、何処に入るにも、買い物をするにも、この「まわりゃんせ」を印籠のように突き出していた。とても便利。
しっかしまぁ、猛暑が続いた日程の中で、何処よりも暑かったのは、ここ松阪であった。

すね毛が焼け、焼き肉屋では自分も焼ける思いをした。必死の日焼け対策も空しく、旅が終わる頃には浅黒く、みっともなぁい感じになってしまったのだけど、私たちの旅は、まだまだ始まったばかり。



初日から、濃いーーい内容ですね。
さすがに下調べも念入りで、そつがないですね。
その辺から、旅の楽しみは始まっているんですけどね。
続編楽しみにしています。こっちはお盆に東京日帰りで
ぐったりしていました。
旅の下調べはほとんど連れに任せてあります。
いかに安く、そして走った事の無い路線をどうやって無駄無く回るか
それを考えているのが一番楽しいようです。
私の方は、歴史散策が盛り込まれていれば、それで満足。
小さなエピソードを見つけながら歩くのも旅の楽しみですよね。